平成の反乱か
雨が開けて、窓の外定点観測の白樺は陽光浴びた緑の葉を豊かに繁らせ、枝葉を風に任せて健康な音を放っている。
西日本豪雨、震災の時はいつも無念で無力さを思うばかりで、日常こそ有難いと噛み締めて思う。日常が、皆に早く戻りますように...。
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平成どうだっただろうか。
昭和天皇がお亡くなりになった日は、自分の13歳になる誕生日だった。冬休みだったが登校していたので、学校の職員室のテレビで、小渕さんが「平成」と掲げた報道を観たのを鮮明に覚えている。
当時自分なりに関心があって調べていたことは、何故昭和天皇が真珠湾攻撃をしたのか。戦争を好んでいたのか。環境汚染、地球温暖化、酸性雨がもたらす北欧の立ち枯れや石像が溶ける資料を(当時はインターネットがなかったので)図書室へ通い、本を調べていた。
平成どうだっただろうか。
奇しくも、長女が昨年の夏休み自由研究新聞で調べたテーマは「地球温暖化」だった。個人で出来る取り組みとして、排水を汚さない工夫、ゴミの分別、食べ残しを出さないことなど至極真っ当なことが子供世代になってもなおそのままの課題をスライドさせ、
いや、問題は蓄積されてもう溢れている。
西日本豪雨は専門家の検知が進むが地球温暖化の影響、海面上昇による雨量の増加は否めない様子。毎年「未曾有の天気」を更新して台風が来るたび、自然の猛威に為すすべも無い。
過激派テロの脅威が拡散され自爆テロが日常に突如押し寄せたり、EUのイギリス離脱が来年3月に控えていたり、トランプがTPPから離脱したり(アメリカが、とは敢えて言わずに)、北とアメリカが互いに無償で世界平和のために手を取り合うなんて楽観的にはなれない。世界は緩やかに分別し溝を深めている一面がある。地球温暖化対策についても、他国任せでは解決しないので同一問題と捉えている。
平成に世紀末を跨いだあの日、
直接の知人では無いのだが、身銭全て使い果たして散財して人生終える!という猛者がいた。彼ら彼女らのミレニアムって絶望なのか希望だったか知る由もないが、どう開けただろう...と今ぼんやり思い出している。持ちすぎても、持たな過ぎても生きていけないのが人間。
平成どうだっただろうか...。
竹田圭吾さんの言葉を聞きたい。
彼は天国から何を思って今の世を見つめている?
竹田圭吾に倣って、新聞を縦軸と横軸に見出しを読む。
忙殺すぎて新聞積まれたまま報道から世捨てになるのも良く無いが、読めば追えば、明るい報道が掻き消されてしまうのが日常。
生きているだけで、尊いのだから我儘は思わない。
家族が、知りうる大切な人の日常が平穏であれば。
更新されないのを知りながら、ずっとフォローしています。
本日雑感を置いて、日常(仕事)に戻ります。