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日常にあぐら

久々に「急がず起きて良し」としてゆっくり寝た怠惰が仇となり、午前中ずっと頭痛くて体が怠い訳でもないのにヤル気が起きず。待っている「やらなければならない事」を愚図愚図と先延ばしして遅めのスタート。自分を許せばどんどんダラシナイ人間になれるなと思って焦る。

 

6時間ほど非常に無駄な時間を過ごしてしまった。

遅読な自分でも本なら2冊、映画なら2作品は観れただろうに。日常の雑務(要するに掃除、家事)は否応無しに溜まるので並行して行いつつ。

 

とあるテーマのイラストを描きたい、という衝動がこの6時間で始動してしまってその為に、日常を潤滑にするための家事と仕事をキチンとしなければならない。というのが不満だと今心でぼやいている自分は、日常に胡座をかいている嫌な奴だ。

 

日常すらままならない方へ思いを馳せ、せめて今現在は健康な大地で日常を営む者として、キチンと生きなければならないよねと心にタスキをかけることにする。

遅読ながら隙間時間を埋める時に読み進めているのが「45歳の教科書」藤原和博さんの本は数冊読破しているのだが「45歳前後までいかに中途半端な存在だったか」と自白されているのに大変驚きました。もっと若くからPERFECT HUMANだと思ってた。

藤原和博さんの公演が聴きたい。本の活字だけでは足りなくて、会いたいと思えるお方です。子育てに悩んだ当時に哲学論や倫理観では非常に掬われたのですが今は、自分自身が掬われる何かが見えそうな気がします。そして子育てに於いても結局悩みが尽きないというループ&ループ。

 

悩まず楽観的にこと進めば楽ですが、特に子育てに於いて解決しなく、また自分自身が孫の世話などで親に迷惑をいまだにかけている事もあるので「自立しきること」についてはまだ模索な40歳オーバー45歳未満。考える時間が出来ると、思考が四散して収集つかずが悪癖なので、睡眠交じりで無駄に過ごした時間も結果、有益になればと思いながら先ずはデスク周りの資料整頓と洗濯機を回すことからかな。

 

45歳の教科書 戦略的「モードチェンジ」のすすめ

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