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Under renewal...

卒業式を終えて

長女の小学校卒業式、無事終わりました。

昨年の卒業式で「洋服の子が1人しかいない」という女子の9割超が袴だという...今も反対です。でも現実、自分の思う倫理を貫くことは娘にとって必要悪と思い直して、諦めた。

  

 

長女の入学当時の小学校では、ランドセルが新品ではなくお下がりだったことでイジメがあり加熱して、夏休みに「逃げる」を選択して転校をしたこと、当時は職場で休める状況になくて参観日は一年生の間に一度も行けなかったし、発表会すら全部を見ることが出来ずだった当時のことを思えば...、卒業式は万感の思いで涙すると、覚悟していたのだが...

 

着せられたような袴女子・それも皆どうしたって似たような色の並びで、慣れないブーツで体育館をコツコツとヒール鳴らして歩く姿達を見て、娘よ、可愛いぞ。でもごめんね、正直自分が思う卒業式とあまりに隔絶していて涙が引っ込んでしまった。

 

卒業式前日からレンタカーを借りて、早朝4時に起きて、予約の着付けとヘアセット。自宅戻ってレンタル汚さないよう部屋隔離。朝食はバタバタ。時間差登校、車送迎のために美容室と自宅と学校を5往復である。

 

卒業式と言えば中学制服、なのに制服を早め購入しても、そもそも卒業式に間に合わないシステムとか。中学の制服も、早期夏服とセット割・指定ジャージ一式と指定靴を購入したら8万超えである。だから、初めから写真撮影セットな写真館は料金的に考えられず、自分が頼りな美容室で。記念撮影は慌ただしいポートフォリオのみで済ませた。また、午後から長男の大事な予定とも被っていたため、これは...1人で回すには大変だった。仕事と並行しての準備、あまりにも急かしくて悲しむ間もなかったのが正直なところ。

 

同じシングルマザーの長女の友達は、車もレンタルとか出来ないので(それもお兄ちゃんの高校入学と重なって更に出費が重なっているので)早朝に近くの美容室へ歩いて行ったそうだ。レンタル時間も、一番短い12時間で。そこまでして、形だけでも周りと合わせなければならない風潮の渦に抗うことが出来なくて、最後またブーツが必要だとなって急きょ1万弱のブーツ購入したあたりは「とにかく長女が笑顔で友達と卒業式終えればいい」という気持ちのみで立っていたと思う。長男の時と違って、シングルマザーの就学援助が支払い後ではなく支払い前に制度が変わっていたことは、かなり感謝だった。

 

静かに感動する卒業式には、ならなかった。

ただ誰よりも、可愛かったと思う(親バカだから)

 

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長女は、女子グループの階層では中心グループの「天然役」「相談役」のようなので派閥やイジメのような類の心配はなさそう、ということまで気を揉む今の子供社会は複雑で緻密で、商業的である。LINEが使えなければハブかれるが入ればそこには複雑なルールがある。それをサラリとこなせる長女は、器量良しで一先ずよかった、と言うのが正直な気持ち。

 

正義や倫理を振りかざしたり抗うことは非効率だし、孤立するんだよ。

このような備忘録を我が娘の卒業式に残すなんて、寂しいし屁理屈なのかもしれない。でも心に嘘ついて笑い続けたまま、この備忘録にまで「無事卒業、感動」なんて残せなかった。

 

誰よりも、長女は可愛かったと思う(2度目言う)

文集で、私への感謝の言葉ありがとう。通知表評価では「自分のことよりも皆んなの心を繋ぐことを優先していたので、皆んなからとても信頼されていました。」と担任から言葉を貰い、母として足りなかったのに自らここまで成長してくれて、誇らしかった。

 

この件に関して、当事者子供の親としての記録。

批判も評価も世論にもう求めない。

子供が笑顔だったら、それだけで。

 

午後からは、長男と合流しての色々は、もう備忘録に書けないくらいに自ら走っているのでそのままで行けばいいと思う。この数ヶ月の躍進と頑張りを誇りに思う。信じているしリスペクトしている。

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※抹茶パフェとほうじ茶パフェ(味見美味すぎてこの後、交換した)

 

仕事でも人付き合いでも全て目上の人と行動するため、いつの間にか母よりエスコートする店を知っていたし、食べ方マナーや礼儀や心配りが大人だったな。相変わらずストイックなところは心配だけど良き友、理解者に恵まれて仕事も勉学も先が見えるところに今いるので、昨年までの模索も遥か遠くみたいだ。

  

納得できない風潮を抗えないことを、一々感傷したり毒を吐いてもいられないので、次女の卒業式もこれからも、その時代に生きる子供の中心軸で「笑顔でいてくれれば」それが中心で結局のところ身を削ぐ時間やお金云々はそれも含めて思い出だよね、と思う。

 

子育て大変なのは一時だけ。

刹那のうちに人生も終盤に。

 

2018年3月20日もまた、

泡のように一瞬でした。