ÜNDYizm

Under renewal...

品定め論じるなよ

・なにもかもが変化していく。
 昨日と今日の間に、どれほどの変化があったか。
 いやいや、もっと細かくいえば、
 1時間前といまの間に、どれだけの変化があったか。
 言える人なんかいやしない。

 だけど、なんにも変わってなさそうな1時間や、
 1日をどれほどか積み重ねていくと、
 こんなに変わったのかというくらい、変わっている。
 1年、2年、3年、5年過ぎたとき、
 なにも変っちゃいないなんて言える人はいない。
 
 同じように思えるものごとの繰り返しなのに、
 実は、なにもかもが変化している。
 よくも、わるくも、変わるようにできている。
 そう。よくも変わるし、わるくも変わる。
 
 そういうなかで、絶対にまちがうのは、
 ずっと変わらないものとして、なにかを判断することだ。
 いまあることばかりをよくよく観察して、
 これが来年はどうなるだとか、再来年はどうなるだとか、
 5年後はどうなる、10年後はどうなるなんてことを、
 平気で決めちゃってるような態度は、
 まちがうためにまちがっているようなものだ。
 思ってもみなかったような変化が、必ずあるのだから。
 そういうまちがいをする人が、あまりに多いものだから、
 そんなふうにまちがう人たちへの人気取りのために、
 同じようにまちがって見せているにしかすぎない。

 両親が、結婚相手の品定めをするとき、
 息子や娘の就職先を論じるとき、
 なにもかもが変化していくなんてこと、
 よく考えてくれているのだろうか。
 ぼくはぼくで、きみはきみで、
 この先何年も何年も、いまのぼくやきみが、
 変わらないまま生きていると思ってはいないだろうか。

 変わらないのは、すべてが変わるというその法則だけ。
 変わらないものは、どこにあって、それはなに?
 ぼくらは、いつでも航海中の船の上で生きている。

10月14日の「今日のダーリン」より

www.1101.com

 

 

思わず、言葉に掬われるものです。

糸井重里さんが「毎日書くエッセイにようなもの」今日のダーリン。

更新されると昨日の言葉は後ろに消えてアーカイブされない言葉を、

留めたいときは自分でEvernoteに保管しています。

 

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日記を自分で書くとか大嫌い。

だって悩み淀んだ文字なんて残したくないし、

意気揚々と喜びの言葉を残したりなどしたら、

また再び悩んだ時に眩しすぎて読めないから。

 

人生、そんなアップダウン繰り返しなんだよ。

 

いつでも航海中の船の上で生きていて、

ずっと不完全なままが完全体の自分で。

 

悩んだ時こそ背中を押すのは、

いつも変わらず信じてそばにいてくれること。

特別な言葉じゃない「変わらない気持ち」

こそが支えてくれるもの。