セナ追悼から繋げたいこと
仕事の資料として観た「アイルトン・セナ〜音速の彼方へ」について感想を。忘れた思春期憧れ追随を思い出して正直辛かった。
エキシビションとしてF-1が日本にやって来た1976年に(歳バレするが)自分は生まれた。再び、1987年から日本で全中継されたF-1全盛期、自分は中学生になっていた。娯楽が深夜ラジオくらいしかない田舎娘にとっては、別次元の憧れる世界だったんだよ。
高温で唸るエンジン音を深夜テレビに映して魅入っていた。F-1レーサーの風の駒のように走るレースに、意味もわからず恋い焦がれていた。
映画よりアイルトン・セナの言葉抜粋
1984年「F-1は政治であり、金なんだ」
「モーターレースは、勝つか負けるか」(デビュー戦)
1985年ポルトガルGP
「F-1の道を金で買えると思ったら間違い。自分の力で勝ち取る。」
天気は雨、厳しいレース環境だった。この当時、チーム・ロータスに移籍して同志だったマクラーレンと親しげに、監督のドン・デニスと並んで笑顔なのが後々の抗争を思うと印象的である...。
1988年5月モナコGP
「サーキットはトンネルで、僕はそこを駆け抜ける」
終盤まで1周回リードだったがスピードを緩めずクラッシュしてリタイア、王座はマクラーレンに。「失敗して学んだ。僕は神に近づいた。」
1988年10月日本GP
スタートで大きく遅れ16位から、奇跡の1位フィニッシュ。初の世界王者となる。
「神を見た。僕の身体の一部となった。」
1989年10月日本GP
F-1の政治が、セナを阻む。マクラーレンと接触クラッシュ、レース復帰して1位フィニッシュするも、表彰台に上がることなく審議会で失格となり6ヶ月のライセンス禁止となる。
1990年フェラーリに移籍して復活
1990年9月スペインGPでマーチン・ドネリーが大クラッシュ・事故...一命はとりとめたが無残でありF-1レーサーとしての過酷さが浮き彫りに。
「恐怖と一緒に取り払う事はできない。目の前の目標、目的、情熱、そして夢を...、それが、僕の人生だ。」
1990年10月日本GP
再び世界チャンピョンとなり、F-1の商業的な成功だと称される。
出身国のブラジルは貧困に落ち込んでいたが、セナは国民の勇気であった。
1991年ブラジルGP(天気は雨)
マシントラブルにより6速のみの状態でレース敢行し、奇跡の1位フィニッシュ。
「神が勝たせてくれた。」
極限まで身体を酷使し、左肩が上がらない痛みを堪えて、母国に笑顔で国旗、トロフィーを高く掲げる笑顔が印象的だった。
1991年10月日本GP、3度目の世界チャンピョンとなる。この時、セナ31歳。ブラジル唯一の希望となる。
1992年F-1マシンに電子制御が導入され、ドライバーのスピードテクニックが制限されることになる。セナの葛藤。
1993年オーストラリアGP
セナとマクラーレン最後のレースとなる...マクラーレン「いい思い出とともに去りたい。」マクラーレン優勝、表彰台で笑顔の二人に胸熱になる。
1994年電子制御が中止になるも、電子サスは操作難しくレース事故が多発する。
ブラジルGPでシューマッハ(ベネトン)勝利、トラクションコントロールを使った不正が疑われるが詳細は不明。
1994年4月30日サンマリノGP
ローランド・ラッツェンバーガー、レース中の衝突事故による死亡。
現場検証に走るセナ。現場担当ドクターとの会話で、逃げてもいいんだぞ、フィッシングでも行こう。との言葉に、
「逃げる事は、できないんだ。」
レースは中止されず続行となる。
1994年5月1日(日本時間2日未明)
アイルトン・セナ、レース中のカーブ制御不能かコンクリに激突し、死亡。身体は打撲だけで骨折なし、サスの部品がヘルメット貫通して脳に刺さったのが致命傷となる。あと15cmずれていれば、致命傷に至らなかったというが、、この中継や報道の実際を昨日のように思い出した。
セナは、ブラジルの国旗と共にオーストラリアの国旗を準備していた。これは、ウィニングランで前日命を落としたラッツェンバーガーの追悼をするつもりだったようだ。
映画の最後に、セナのインタビュー・シーンにて。
今までで一番印象深い、忘れられないレースは?の質問に対して、1978年からのカートレース時代を上げている。
「カート・レースには金や政治がなかった。ただ純粋にテクニックへの勝負だった。」
F-1レース中に関わらず、事故車を助けに駆け寄ったりする姿、事故現場を検証して事故のないレースを探求していた姿、現場ドクターに緊張しながら笑顔を見せるところなど、レース以外でセナの誠実さを伺うシーンなど、当時知らなかったセナの葛藤などを観ることができた。遅まきながら今更惜しくて、悲しかった。
映画は全て事実なので、ネタバレ関係なくリライト形式で書き出しました。
仕事資料と言いながら、
正確に言うと今お仕事でデザインしているのはロードレースなのでF1と違うのは承知ながら、F1への特別な感情を思い出し、再びデザインに向かおうと思う。デザインや印刷インクの特性ばかり考えて、カーボディに貼られたステッカーひとつにもドラマが、レースの政治があるのをきちんとイメージしようと思う。めんど臭い奴だけど、そこまで深く知りたい。当日現地にも手伝いで行って、現場の思いを感じて、また来年その次へ繋げたいと思う。
まだまだ、始まったばかりなんだよな。
女であることが、今ほどもどかしいと思う事はない。
デザインで出来ることを掘っていきたい。
スピードに恋している気持ちなまま。