ÜNDYizm

Under renewal...

伝えられない感謝の記録

昨日は、長女の中学入学式でした。

中学校入学式の祝辞より、担任だった先生・卒業校校長や学年担任一同からの言葉をアナウンスで聞いて、目が潤んでしまいました。袴の卒業式で引っ込めた涙が、天邪鬼な感性なのだ自分は...あの、多忙すぎた卒業式当日に撮影しておいた、教室。もう戻れないんだなぁーって今更思いました。

 

長女は、大変に担任の先生に恵まれてきました。

5年・6年と担任であったT先生は、厳しかったのに学年生徒皆が慕う先生でした。家庭学習やノート提出・テスト再提出の時に長女がオリジナルキャラで一言絵を添えれば、必ず登場する「おさるのモン吉」は学年で慕われたキャラクターでもあり、一緒に教室にも居たし、一緒に卒業もしました。「見ているよ」という安心感が、言葉より何より子供の背中を押すのです。そして育児と仕事に悪戦苦闘する親としても、先生の自立を促す教育には大変共感もしておりましたし、短い個人懇談の中では大いに教育、対個人としてお話をさせていただき、尊敬して居ました。

 

先生が見守って居てくれたから、頑張れた。

そのような学校生活を見送り、また転勤となり正真正銘「T先生とモン吉」が居た教室には行けないのだと言う事実が、今となって子供のような気持ちで寂しい。

 

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親がグズグズして居ても、

長女は緊張感全く無しの天真爛漫な入学式。担任は、美術の先生で我が子たちは美術の担任に恵まれる機会が多いぞと、長男のことも振り返り思うところ。長女も次女も、ひとまず女性担任でよかったなぁと胸を撫で下ろす。

 

特に、次女は。

先週11歳の誕生日を迎えました。

まだ頑なに大人の男性嫌煙と言う難しい部分を多く残したまま、歳だけが思春期へ突入して行きます。自家中毒は治ったし、でも難しい局面もあって過保護と愛情の天秤で揺られたまま日々はごっそり進んで行く。「3歳児神話」は事実としてあり、永久に足枷なのだと我が身も投じて思う。次女を守らなければ、だが行き過ぎては過保護になる。

 

最初の子で何もかも初めてだった長男の育児は手探りだったし、最後の子である次女は離婚してからの方が生活が長く、やはり過保護ではあったと思う。次女は、まだ独りで買物やお会計ができない。人へ心を開かない。その反面、何もかも余裕がなくて手放しだった長女は、自由と天然と天真爛漫さを武器に、家でも学校でもムードメーカーだ。長女は、亡くなった祖父の名を引き継いだのだが、名の通り祖父のように笑顔で何もかも進めて行く。それで良いと思う。

 

同じように育てたはずが、同じに育たない。

自分はいつから大人になったのだろう、いつから親になったのだろう。

大人でも親でも一人前とは言えない自分が、子供の成長とともにごっそり時を進めて行く。「夢はないけれど、やらなければならないことはある」と国家試験を合格させた長男に、「将来やりたいことがない」ながら勉強だけは頑張り屋の長女、主張しないように見せて実は人一倍負けず嫌いで承認要求の強い次女は、とにかく絵を描く...

 

 

文末ながら記録、次女が一番大変だった時にお世話になった愛隣館保育園の年中担任T先生、年長担任S先生・A先生、愛情いっぱいの園長先生、旭小学校1年担任S先生、4年まで担任で転勤されたS和子先生。そして、見守ってくれる札母連の会長さんへ、言葉で言えないほど感謝しています。家を出たら、子は自分で頑張らなければならないのを支えてくれて、またここに記せないたくさんの地域の助けや行政の助けなどもあって、今こうして安心して生活できること。

回想するくらいの、年代に気づけばなりました。

 

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この子たちの、親でいれてよかった。

 

昨夜、張り詰めていた何かの糸がぷっつりと切れてしまい、寝落ちてしまい仕事のスポンサー初放映を見逃してしまい...朝から悔しくて悶絶しておりましたが。後悔しても仕方ない、次回は録画してでもきっちり観よう。

 

これから迎える多忙期に心のタスキをかけて、また励もうと思います。