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子育ての答え合わせは出来ない。

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昨日と今日で子供たちと食べたもの。美味しそうな写真、笑顔の裏腹にとても力不足な母としての自分に悩み、其々の意見を尊重し、向き合うと土日はあっという間。三人三様全く意見が違う、其々が私に似ている部分はあっても其々全く違う人間の考え方だ。生きるを目指す方向も目的も違うし、そうでなくてはならない。其々の、考え方とても分かる、でも良い意味でも悪い意味でも突出している次女は姉と、私とも難しい心理戦攻防になる。という出来事があった。

 

親ひとり、母一人の葛藤は、、

人としてどうか、自分が思っても次女の主張は間違っているとは断言できない。押さえつけることはできない。家庭も社会でありルールである。悩み、気持ちで理解できないところは早急に結果を出さず、主張する環境を可視化させてそれで暫く生活の中で体感してもらう事にする。人の気持ちを思いやる、そんな子になってほしい。

 

思春期前後の子育てが大変すぎる。

昨夜、バイト上がりの息子と合流して親子4人で焼肉を食べに行く。長男の断捨離、本や服の整理品を引越しさせる、時間もなくて「ブログ更新できそうにないな」ってあっさり諦める事にした。成長する子供との幸せの密度は深くなる、一個人として見たときに、長男、長女、次女の其々の主張する事、主張できずに抱えていることも見守りたい。悩みに小さいも大きいもない。全てを引き受けて先を進めるように、導いたりさじ加減で背中を押したりって、私でいいのかな。でも、私しかいない。電話で母に相談もできるけれど、親とはいえ考えが違うので、笑いながらこれで良いだろうかって、

 

子育ての答え合わせは死ぬときかな。

要するに、先は長い。

密度濃い幸せも悩みも。