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叩き出しブレイク⑶

たんぽぽの日々

 

4章 いつもそのときが

 

青空へ 吸い込まれゆく風船を 千の風だと子が追いかける

 

いのちとは 心が感じるものだから いつでも会えるあなたに会える

 

 

「ねぇ、どれがおじおじちゃんの風?どうやったら、わかるの?お外に行ったら、おかあさんには、わかるの?」そう言われると、困ってしまう。なんとか息子の素朴な疑問に答えたくて、自分なりに考えた結果が、掲出の短歌だった。

自分の心が、風の中におじおじちゃんの風を感じたら、そのときのその風がきっと、おじおじちゃんの風......だから、心が感じることさえできれば、いつでも会うことができる......。

 

 

シーツかぶり 花嫁ごっこを繰り返す 五歳の我の夫はおじおじ

 

「仙台は、いいよ。仙台へ、おいで」そう言ってくれたおじおじはもういないが、呼ばれた私たちは、仙台に住み続けている。この日々こそが、叔父の残してくれた遺産なのだ、と感じながら。

 

 

今年初まって「毎日の備忘録をつけよう」好きな本の優先順位が高かった本。ただこの時も、「いのち」の章に触れる事は出来ませんでした。

 

なぜ今日この時間に備忘録したためたかと言うのは、時間がなくても言葉を残そうと思った「叩き出しブレイク⑶」でこの本をパラパラ指でめくっていた時に、毎日の記事更新を拝読させていただいているブログからドドドゥっと、胸に堰き止められていたダムが決壊して心が流れたから。そう、このところ悩んでいたり不安だったりしていたそれは、幸せの裏で悲観的になるそれは、大切なものを忘れていたからだったにすぎない。

 

 

目の前にいる誰を信じたらいいかなんて、簡単にはわかりません。
だから私はまず、大好きだったおばあちゃんの言葉(=自分自身の心の声)に耳を傾けてみるようにしています。

 

 

私は、爺ちゃん子。

来週の命日を前に、もう亡くなってから13回忌も過ぎていると言うのに、ぷっつり最期の病院駆けつけたりお葬式したりの記憶が途切れていて何度思い出しても思い出せない。それが、時間が経っても別れが実感できず、故郷の空の下に立つことが寂しさ増して足が遠のく。居て欲しい、そのような我儘さが自分をもっと狭くする。誰を信じていいかもう分からないくらい、自分の甘さから色々あって、辛うじて親らしきもの、をしながら日々生きている。

 

思い出すのは、一重の目が細く笑う丸い顔と、土くれに節々がゴツくなった指と短く切られた爪、一緒によく食べたべっこう飴・黒飴の味だ。子供の頃、爺ちゃんの隣に潜り込んで寝るのが好きだった。

爺ちゃんの初ひ孫である、生まれたばかりの息子の為にと納屋から古い乳母車を引っ張り出してきて、一緒にゆっくり散歩した故郷の道と青い空。

 

「ゆみこは、いい子だ」

色白で瞳が丸く可愛い・出来た兄に比べて、ミソッカスだった男みたいな私を可愛がってくれた。怒られた記憶は、一度だけ保育園に送ってもらう朝に、白いタイツに泥がついてしまって「着替えたい」って泣いた朝に「これしかないんだから我慢しなさい」と言われたことだけ。ゆみこの結婚式には演歌の「娘よ」を歌うんだって張り切って練習して居たのに、結婚式当日に爺ちゃんが来る事は出来なかった。

 

来週命日、いま心が騒ついている不安とか寂しさとかを、それらを思い出して備忘録としよう。あんまり寂しがっても居られないから、今日は、心の叩き出しを置いておく。

 

置いて、日付境界線をまたごう。

 

 

さて頑張るべ。