不甲斐ないが愛す
夕刻のこと。
夏休みを怠惰に寝て過ごす長女を叱ったら、怒涛のように反抗きた。
正直なところ、その昔自分が、母親に吐き捨てた言葉と同じ過ぎる。
「自分が辛いのに、何もわかってくれない。」
「無神経な言葉で、傷ついてるの知ってた?」
「出来ているところを、褒めてくれない(見てくれてない!)」
「学校でも家でもどっちも頑張るなんて、無理。」
「誰も、相談できる人がいない。お母さんなんて。」
「わかってる、なんて昔と違うのに。知りもしないくせにー」
等々の辛辣を、結界ダムのように言葉吐き出す長女。
悩んでたんだって。やる気が出なかったんだって。
挙句に、
「お母さんは何も分かってない、知ろうともしていない、興味ないくせに!」と、「お母さんの子ども時代の田舎と比べないで欲しい。もっと大変なんだから!」には言葉を失った。刺さった。忙しすぎて見てたつもりが、ギリギリアウトだったんだな、私。
でも、
「辛い時に、辛いって寝てたらどうにもならないから、目の前の事をどうにかやるしかないの!」そう言ってももう、我が強く昔の自分にぴったりとよく似た・自分中心で自分勝手な頑固者の長女には、響かない言葉だった。
「私はお母さんみたいに強くないから!」いや私だって強くないぞ...。
そんな強くない。やる気がないって、寝てたいし。辛いし。そんな最中でも仕事の電話は無情に鳴るので、言葉ひっくり返して応答しなければならない。その間に、長女は布団に潜ってしまった...。
子育てって、何だろう...。
全然足りてないけど、でも精魂込めて「子どもを守るため」働いてきたつもりだった。勝手だと言われるけど、もっと勝手にして良いのだったら、もっと違う生き方もあったと思う、それ考えたくないけど。
自分が思春期に、父母へ吐いた言葉の勝手さを思い出し、
心から、すまないと今は思ってる。
非常に狭い世界で中心を叫んでたなぁって...
それがそのまま、娘を通して自分に還ってくる言葉らよ。
つい寂しくて、
夕風に当たりに出た。
母に、電話していた。
気がついたら、母の声聞くなり泣いていた。
このところ、悩んでも悩んでも答えの出ない事で、悩んでいる。でも誰にも相談できなくて、心配かけるから止そうと思っていたのに、気がついたら母の声を聞いて泣いていた。
もう頑張れない、頑張りたくない時もある。
そうは言わなかったけれど、
母は、笑っていた。
「反抗は大事、子どもが育っている証拠じゃない。」と。
不器用なりに子育てしてきて、愛情だけは本当に曇りなくあるのにそれが伝わっているだろうか?どうやら反抗期の娘には、見えないようだ。寂しい、と言えば自分勝手な。
息子は、いよいよ一人暮らしも目処がたったら、暫く帰ってこないと言う。それは、目指した「自立」の芽がしっかり育ったと喜ぶべきなのに、愚図愚図と心が寂しがっている、子どもの成長を。子どもの反抗を。
勝手だなと、思う。
母から子どもに返って涙が出る、
母の声聞き、泣いていられないと思えた。
しっかり出来なくても、しっかりせねば。
帰ろう。
帰る家は、子どもと生活しているあの家でしかない。
反抗しても、泣いて布団に潜っても、叱って寂しくてふと嫌になっても、どこまでも答えのない先が見えずに不安になっても。分かってくれなくても。見てくれなくても。愛していても、愛してくれなくても。
愛している家に、帰らねばねと。
泣けても、仕事をしなければねと。
そんな出来事があった日。