ÜNDYizm

Under renewal...

願掛け前夜の

濃くて塩っぱい涙が、潤んで漏れてしまった。

交わした会話に閉じた感情が一瞬で沸いて、今は冷静に。

 

理不尽だぞ、と自分が思うことにはもう慣れっこなのだが、かの人が、どうやら泣くことになるかもしれないという、、正直キッツイね。一生懸命なのは伝わっていたので、でも、今はやれる事をやるしかないし、事態が好転する事を願うしかないし、これが後に「あの時はマイッタねー」なんて美酒な盃を交わせたら良いなと、こっそり思うしかない。

 

仕事って戦いだな。

 

差し込まれた仕事が広範囲になってきて、データ保管方法が作業時間の確保と同等なくらい重要になってきた。そんなだから、最近タイピングする度に思い出すのだ、、

 

誰が見ても認識できる統一した秩序あるデータ作成 ルールは、前職の先輩女史殿に教わった。

しかしこの女史殿、厳しくてヒステリックで、そして困ったほど愛らしいくらいワガママで美人で可愛かった。そのような女史殿に、文字通り過労で倒れる1年半、濃密に一緒に仕事をさせていただいた。当時叩き込まれたルールが、いま自分の作業環境を整えている。私を入れても制作は先輩と私だけというスピード印刷対応の印刷屋で、デザイン制作・印刷・断裁・梱包と納品、備品の専門用紙の在庫管理と発注。業務は待った無し、やってもやっても、終わらない。過労で倒れる直前の半年は肺炎に急性腎炎を患い痛み止め服用しながらの日々だったので、いまもう少し霞んだ走馬灯のような...緩りとした鈍い記憶なのだが。

やはり、毎日ファイルを格納する度に、素材を作成する度に、預かり素材を頂くことが増えて人が作ったデータを開いて確認する度に、思うのだ。意外と雑な中で世の仕事は回っているのだなと。書ききれない本当に細かな注意すべき項目が、自動整列に習わない最後は感覚という法則や、本当に。女史殿のヒステリー項目を潰して制作したルールは、現場で活きている。感謝している、と伝えていいものか。チェック項目全ては無理で、今は自分なりに潰しながら、でも常に思う「女史殿だったら、ここは神経質にこなすだろうな」と。

ススキノ一角の印刷屋で、飲食店のみならず、ホストやホステスの使い捨ての名刺、風俗の広告やチラシから天と地、光と闇、両方を否応無しに見せつけられた。女史殿はデリヘルの名刺でさえ、セオリーに手を抜かない人だった。

自分が突貫で仕上げたキャバ嬢の名刺が、道端に捨てられて踏まれているなんて、しょっちゅうだった(妻帯者は、家に持ち帰れないからね)

仕事の話もそうじゃない時間も、とにかく長かった。この割いている時間は理不尽そのものだ、と内心呟きながら、女史殿と食べたクレープの味や、ペットショップで撫でた猫のこととか、夜中のドンキで付けまつ毛を一緒に買ったことなどは、やはり、コーヒーを回るミルクのように溶けて...味だけが、しっかり脳内に残っている。

女史殿から独立して、初めて自分が担当を得た顧客は、打ち合わせという名の自慢話に応対をしなければならず。これも客のため、しかし支払い日から連絡が途絶えてしまう。1週間ほどして、倒産して事務所で首を吊ったと上司から報告を受けた。当時、なんの感情も持たなかったプライド高き自慢屋の顧客が一転して、本当は立ち行きならない状況にあった事を後で知った身として、懺悔のような思いが。同時に、人生死んだら終わりだろうーという怒りのような感情がセットで、先輩女史と共に記憶が回る。

 

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※子猫は来週で生まれてから一年たつ。

 

そんな記憶も引き出しの片隅にあるから、

自分の野望とかそんな大袈裟な理念は実はなくて、誰かのためとか壮大な事も抱えきれなくて、さらに言えば守りたくて守って来た子供達にはそれぞれ独立したステージが待って居て(切り開いて貰わなくてはならなくて)、自分は、自分の為でも誰かの為でもないのに、人の感情が見え過ぎてしまうというのが欠点。

 

記憶の引き出しを閉めて、仕事に戻る。

忘れない事だ。

忘れないままで進むしかないと思う。

 


キマグレン - LIFE

 

今すごく思うのは、

独り仕事を管理しなければならない今は、当時先輩女史殿がどれほどデータ保管に関して孤独なプレッシャーと戦って来たかと言うこと。

そのルールは、学校でも本でも学べない、私の肌の一部のようである。

 

私なりルールを崩して挑むもなお。

「ここで女史殿なら・・」

自問自動しながら今もつくっている。