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もうひとつの桜記録


桜を撮影してふと、思い出した。

去年の今日は岐路だったことを。

 

風の流れが変わった予兆は、敢行したニッポン手仕事図鑑の2周年「えん会」へ向かうべく東京へ行き、短いながら見聞きしたこと全てが財産で尚且つ、翌日からの東京探索をした節分から、徐々に、あったのだが。

 

桜に思わず「ありがとう」と呟いた昨年から、

同じように、或いはそれ以上に心の底から、

桜に「ありがとう」と呟く気持ちで今日も在る。

 

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さて、

今日は記録しようと思っていたことを。

北海道新聞の本日朝刊「卓上四季」より

現代は花見といえば桜だが、奈良時代は梅の方が好まれていた。万葉集では梅の歌が118首なのに対し、桜は42首と少ない。(中略)ソメイヨシノは一斉に咲いてパッと散る。散り際のイメージが「はかなさ」から「潔さ」に変化したのは、そんな理由らしい。従来、武士の象徴はひたすら耐え忍ぶ松だったが、その潔さから「花は桜木、人は武士」と言われるようになり、後に軍事主義と結びついた。

「同期の桜」は「見事散りましょう国のため」と歌い、「若鷲の歌(予科練の歌)」も「若い血潮の予科練の七つボタンは桜に錨(いかり)」で始まる。歌人水原紫苑さんは自著「桜は本当に美しいのか」で、桜はその美しさ故に「軍国の花となった」と指摘する。花に罪はない。ナショナリズムの高揚という重荷を背負わせたのは、人間なのである。

桜の便りがあちこちから届いている。暖かい日が続いて、どこも平年より早い。大型連休中に花見を予定している人も多いだろう。

絢爛(けんらん)たる美に大勢で酔いしれるもよし。ひっそりと咲く桜を静かに1人めでるもよし。願わくば、桜を見上げたとき、かつてそんな不幸な時代があったことをわずかでも思い出してほしい。ー卓上四季 2018.5.1

 

 

子供の頃から「卓上四季だけでも読みなさい」新聞読むことが定着しない娘に母は事あるごとに言った。これまで読んで来た卓上四季の中で一番、心に留まるものがあった。卓上四季の良さは、一般記事と違い、記者の倫理が覗いて文に出る事である。

 

桜に罪はない。

でもなぜ、日本人は桜に一喜一憂するのか。

それは血が脈々と残して来た「血の記憶」がそのような感性を生むのかもしれない。だから、桜にありがとう、と言いたくなるのだとも。

 

桜が散るのが惜しいが、

見事に散る儚さが美しい桜が散る前に、記録として。

 

この一年、誠に多くのことがあった。

振り返れば長い歳月、多くのことが。

それを一纏めに両手で掬い取り、ありがとうと思える感謝の水を温めている。