ÜNDYizm

Under renewal...

バビロンに迫る

「自殺は、善か悪か?」

5年生の次女に唐突にして投げられた質問に先日、自分なり哲学で答えたのだが、時間の隙間を埋めて本日「バビロン2 ―死―」を読了し、いよいよ完結の「バビロン3―終―」冒頭読み進めたところでタイムアウト

野崎まどは、長男が次女におすすめした「パーフェクトフレンド」がきっかけで次女が崇拝まで至るほど好きな作家であるのだが...キチンとその熱弁を理解したく、読まないジャンルだが2巻まで読了して、作者の巧妙な文章での表現力に戦慄さえ覚えている。

 

自殺は、悪とは断言できない

聖書にも現存の法でも「自殺は悪であり罪」とする表現はない。先日、次女に伝えた「自殺は家族なり必ず残されて悲しむ人がいる限りは、罪である。」と...だが、新域区長が自ら法改正する「自殺を合法的に認める」先には、心臓移植なくては残り寿命少ない息子の為に、自殺者の移植手術が出来ない現法を「合法的な死によって」新法の元に自分の心臓を使って欲しい目的があった...。

バビロン 2 ―死― (講談社タイガ)

バビロン 2 ―死― (講談社タイガ)

  • 作者: 野崎まど
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2016/07/20
バビロン3 ―終― (講談社タイガ)

バビロン3 ―終― (講談社タイガ)

  • 作者: 野崎まど
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2017/11/21

ネタバレここまで。

物語の後半は、未だ謎な「自殺に駆り立てられる」現象によって、これまで勤勉だった警察官・特別捜査官が次々と自死をしていく。この解明は、完結編を読み終えないと得られないようだ。

 

障害とは思っていない。

個性と思って向き合う。

本書は、結構難しい表現や単語が多い。それこそ、性欲本能の表現も出てくる。次女の、解らない言葉や表現は、調べてまででも読み進める読書欲に対する意地、も確認できた。親として、表現如何なものかと思えた幾つかの残忍さも、悲しいことには社会で既に流れているニュースに起きている現実となんら変わらなかった。ならば、正しいことを知りたい、という子の衝動を、親としても出来うる限り共有したいし、日頃の報道は遠い世界の話ではない、という形で伝えるしかないなぁーと思った。

読んで!聴いて!(好きな本、曲)をアピールする次女の熱意はシグナルと思って受け止めたい。それは、なぜかと言うのを...

 

...あまりにもバビロン2は戦慄すぎた。

だから本音を、記録しておこうと思う。

 

次女の本心へのアクセスは、実は母の私だって困難なことが多い。今は休診(回復による中断)しているが、適応障害があって高機能自閉症に近い診断が出ている。自家中毒が酷くて児童心療内科に駆け込んだ当時の、次女が問診で描いたイラストは脳裏に常にへばり付いている。父親に虐待されて閉じ込められた部屋だと説明した窓の黒にヒビ割れ・自宅前の巨木と大きな崖...それは他者との隔たりだと一目して理解出来た。私以外、誰も知らない、、それで良いと思う。他人の気持ちや記憶への自己解離があって、次女の言葉やマイルールに裏切られた気持ちに何度もさせられながら、本人に悪意はないのだ。担当医には、思春期に幼少期トラウマによる難関が生じるかもしれない、その時はいつでも気軽に相談して欲しいと言われている。実際、月イチくらいで、凄く残念(としか形容できない)な出来事が起こる。でも、次女に他意はないのだ。向き合うしかない。

 

次女の心に寄り添うべき時、親として次女が熱読している本を追読している。というか、それしか出来ない。思春期は大変かもしれない、でも、日頃の会話で善や悪について、人の心についてを本を通して伝え合う。活字は猟奇的なものも伴う。否定はしないで肯定する手段を私も考える...(自分だって、小学から中学まで、赤川次郎の恐怖推理には心酔したじゃないか、と納得させ)

 

これは、次女の心を手繰り寄せる読書でもあるのだ。

 

 

そんな次女が、野崎まどに開眼した本。

全て完璧な主人公が「本当の友達とは何か」について、酷く納得したのだという...。友達はいない、と言う次女の心の拠り所でもある本。