大人は形骸化してないか?
次女画:集中して勉強机に向かって描いているときもあるけど今日の絵はテレビ観ながら分厚い本を簡易机にして、ササッと仕上げたもの。
「絵が上手になりたい!」
次女はずっと事あるごとにそう溢し「絵を上手くなるにはどうしたらいいの?」と聞いてきた。「1番の近道は、好きな絵の模写。回数描いて、描いてるうちに自分のものになる」そう伝えてきたのだが、描いて描いて、描き倒してきた次女は最近少しずつ、指とか、服のシワとか、描きたい細部のデイテールに狂いが改善されたと自信ついたようで、描くのが楽しくて止まらないのだとか。
次女の絵に向かう姿が、あるべき姿で、師匠なのではと思うよ。屁理屈ばかり先へ進まない私をとっくに凌駕して。迷わず鉛筆の走る音がする。
ザッ ザッ ザッ・・・
大人は形骸化してないか?
ちょうど今日は【やりたいことリスト25】をまとめていたが、母の立場・仕事の立場・自分自身の立場それぞれあって要点がまとまらずなどして【日常編】【習慣編】【仕事編】【健康美容】カテゴリが細分化してしまって、多くて、決定項の上位3位は即答だけど絞ることが出来ない。
なんて思っていたのに。
次女は、子供は、一々そんなまどろっこしいこと考えないで描く。とりあえずやってみる。自分の直感で、信念で、今したいから挑むのだ。真っ新な紙にどんどん迷わず描く。大人みたいに「〜しなければ」なんて進み方を気にしない。
経験則思考で、荷物を重くしてやしないか?
結果を欲しがっていないか?それは本心か?
そのプロセスに何かしら意味と価値がないとダメなのか?無駄なことに躊躇うのは時間が?生産性がないから?仕事じゃないから?結果を欲しがっていないか?
真っ白な雪原に身を沈めて、フカフカの粉雪が首に入って冷たくて、それでも雪に寝そべって空を見上げるような。空を見る理由もなくただ欲しがらず...。もう直ぐ年末年始は、帰省するので田舎の雪を思い出して、幼少の自分を記憶から掬いとる。
そんなことを。
思ったりなどした。
欲しがっているうちはダメだと、悟った。
「ズバッとなにかが解決できるようなことはやっぱりなくて、一歩一歩重ねていくしかない。正直、投げ出したいときもありますよ。でも、日々進めてきた一歩が重なっていくんです。ものごとは100件あるとすると、99件は、難しい、たいへんなことです。
でも、ひとつくらい、ああよかった、しあわせだった、みたいなものがある。
その1個を心のポケットの中に入れて、進んで行く。それしかないんじゃないですかね。」
/三浦純『ほぼ日5年手帳』12月20日のことばより〜
因みに長女は…
癒し系イラスト。
性格もほんわり、
真似してできないことを。