ÜNDYizm

Under renewal...

初老の歩き方

今は「人生100年時代」とされるので、それに倣えばまだ人生折り返しにも到達してませんが...「人生長くて80年」で生きてきた感覚そのままで言えばもう人生折り返しちゃってる。入院3日目から、毎朝新聞を買いに1Fの売店に行くのが日課だったのだがエレベーター前、ナースステーション前の同じ病棟は全てご高齢の方達ばかりだった。介助されて着替えや食事をしているご老人の姿が見えたのだ。

 

自分は3Fに居て、そのご老人ばかり病室が並ぶ少し奥の、第二ナースステーションとリハビリ室が並ぶ奥に病室が3つあり、夜間の咳が酷かったため2日目から第二ナースステーション近くの個室に移動になった。リハビリ室から、患者へリハビリしている若い男性トレーナーの声がする。耳が遠いのか、何度も「今日は良いお天気ですね」「ここは何階ですか」と言った会話でもない張り上げた声が何度も。何もすることがなく、寝たまま一点を見たまま動かないご高齢患者、車椅子に乗り看護師と一緒に病棟内廊下を「散歩」するご高齢患者。見舞いに来てくれた知人ご夫婦が、間違って2Fに行ったのだが2Fは終末患者病棟のようだった、、と聞いた。入院から退院まで、2Fに行くことはなかった。だが、3日目から売店へ1Fへ降りるエレベーターのボタンを押す度に、その言葉を思い出した。

 

そう、自分の老後の姿と重ねたかも知れない。

 

ターシャ・テューダーが、老後の理想像だった。動物に囲まれ、田舎で自然に囲まれ、そこにネット環境とアップル製品があれば完璧だと思っていた。ターシャの様に、時折、息子や娘や孫たちが来てくれて賑やかなひと時を楽しみ、出掛けるときは盛大に遊び、終の住処は絵を描き独りを満喫したかった。

 

の、だが。

 

喘息リスクを避ける為に、老後の動物多頭飼いはほぼ不可能だと今の時点で、確定している。季節の変わり目、冬季間の風邪を引くリスク、シラカバ花粉症からくる喘息発症リスク...があって独りで倒れて、孤独死というものが脳裏に掠めて、運よく一命などとりとめて病院へ入ったりなどしたら、病棟のご高齢患者と同じになるのではないか、これは、このまま自分をないがしろにした場合に起こり得る未来の自分ではないかと...時同じくして同じ病棟フロアに居合わせたご高齢患者の病気とその経緯は想像も及ばないので失礼ながら、不出来な生活で健康をないがしろにした我身の未来と重ねていた。

 

可笑しな現象だが、リハビリ室から毎度こだまの様に聞こえるリハビリトレーナーの「お天気良いですね〜」「ここは何階かわかりますか?」類の声を聞くのは、リハビリの様子が伺える声などを聞くのは、悪い感覚ではなかった。個室の解放された扉にひかれたカーテン越しに、看護師や奥の入院患者の移動する足が見えるのも、悪い感覚ではなくてむしろ安心していた。

 

「そこに人がいる」

ということに安堵していたのだ。

 

老後は、独りではない方が良いかも知れない。とは言え、子供に面倒かけるのも嫌だしな、とは思うので、ターシャの生活は諦め、喘息コントロールして風邪ひかない免疫力をつけ、適度に「都会に近い田舎」に住み、実家や息子娘とそう遠すぎない場所で、やっぱり仕事をしながら細々生きるのかな。

 

随分先の老後の病棟から現実を見てしまった故に、考えざるを得ないのだが今は、まず「10年後の自分」に照準当てての仕切り直しといった具合です。

 

本日の備忘録は以上。