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終活セミナー事後録

先週のことですが、仕事に関わる展示会でのセミナーに参加してきました。お題は「身の回りの整理から始める終活」について。主に高齢者向けのセミナー構成であった為「服」にアイテムを絞ったゆったりした内容でしたが...

終活に年齢の早い遅いはないことは確信しました。

何故なら、終活とは「残された家族が、大変な思いをしない」事が大切なので。人生100年と言われようが実感はない。これから人生もう畳み返しの年齢ではあるので、一番は息子、娘たちに私の死後まで大変な思いさせたくないわけです。

 

私の終活については、

1. 処分に困る高価なものは持たない(持てないが)

2. 処分に悩まない生活アイテム最小限で生活

3. 親の死後に兄妹尊重して支え合い分け合える教え

4. ドナー提供はしない

もう集約して上記4点に絞られるぞと思いました。

 

1.は文字通り無駄で賞味期限のあるブランド品や宝石には一切興味はありません。大好きなApple製品も消耗品、特にSEが販売中止になってから今はそこまで神聖化してません。(ジョブズのiPhone4発表のプレゼンは今だに見るとワクワクします) 2.も文字通り。もう買い足しはいらないので、買い替え生活サイクルで充分。3.は自分の両親が生前遺産整理についてきっちりしている様を聞いているので、今から兄貴には自分の意思も伝えてあるし、自分の子供たちもそうあって欲しいと。多分、大丈夫。

 

最後の「ドナー提供しない」点は、個人的には自分の臓器なり眼球が誰かの血肉に活用できるなら...と思うことはある。けれど、いつぞやの記事で読んだ「家族の死後、ドナー提供意思表示カードが見つかり、死後数時間内に遺族の意思確認やサインなど事務的な処理が負担をかける」これを、息子や娘たちにさせるべきではないから。(ドナー意思表示される方の勇気と善意は良きことであると思っています。それで救われる人がいるのだから)

息子や娘に、臓器移植なり必要になったら何もかも差し出せます。

 

ミニマリズムに生きたいけれど、本はこの先抱えるものは処分諦めました。処分してからの後悔が深すぎる...本だけは、一式寄付なり読み回しも処分もしやすいもの、というカテゴリで納得させました。服は、買い替えはするけど買い足しはもうないかな。食器も、大分整理して年末の大整理は残すところ大型ゴミ(子供用自転車とか)を処分するのみ。

 

次いで備忘録、

リスペクトしている方が「自分の死後、棺桶に入れてもらうもの」を今から決めているそうです。(自分より歳はふたつばかり下です)仕事の相棒としてきた万年筆と自分が出版した本。それを励みに生きるって素晴らしいなと思えました。

 

ただ、自分は...何も持たずに今世を去りたいです。

 

自分の性格上、仕事は懸命にするし創作はするし描いたりするとして「満足」になることはこの先もないと思うのです...やり残したな、もう少し攻めれたな、そのような未完を抱えて棺に入るならば、うーん・・裸で生まれて裸で去れば良いや。(でも全くの裸は嫌だから白装束くらいは着せてね)

 

生まれ変わっても、子供はもう産まないと思える。

それは、子育てが大変だからじゃなくて、たとえ生まれ変わろうとこの先、息子と娘たちが生まれ変わりがあっても宇宙軸で唯一の自分の子供だと考えるから(文字にすると重ため表現)個性的に育った命の元を産めたこと、それだけは価値があった。

 

脱線したね。

なんでこんな事後録になったかといえば、

 

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久々に喘息再発しまして吸入&点滴してました。

3日集中で咳止め処方薬と吸入シムビコートがまた復活。自己管理も含めて母業&仕事であるのに、近々で大切な仕事ひとつ穴開けてしまいました...

 

来週リベンジ、それまでに完全に治す。

命に執着はないが、苦しいのは嫌だし、

まだまだやらなければならない事が...。

へばってられんのですよ。

 

今夜はしっかりと寝ます。