ÜNDYizm

Under renewal...

渇望のキャパ

手に届く位置がデフォルトの本がある。

f:id:undy-yuu:20170117002830j:plain

ロバート・キャパ全作品展」に訪れて購入した作品集。大学3年の頃、卒業研究を見据えて必修選択を考えなければならなかった当時、キャパの写真を大学の図書館で知った。

 

人物まとめについては、以下リンク貼らせていただきます。

 

レンズを通して「人」の人生を追いたくなり、選択科目から外れて写真の勉強をし、アルバイトはブライダルカメラマンで実践しながら学ばせて貰えた。そこは小さな映像プロダクションであったが、カメラマンの滝川さん、社長の及川さんは忘れられないお方である。大学4年の秋、札幌の映像プロダクションへ就職試験課題の撮影にも「ウチみたいな小さい会社より絶対いいから」って滝川さんはビデオカメラの取り扱いを教えてビデオカメラまで貸してくださった。無事採用となった時も、社長の及川さんは「寂しいけど!チャンス掴めよ!」って喜んでくれた・・・結局、色々あって今は撮影の仕事はしていないのだけど、一番自由で不自由だった人生選択の岐路を思い出す、渇望の象徴なのである。

f:id:undy-yuu:20170117003853j:plain

 ※キャパが撮ったピカソ

 

ピカソについては、好きすぎて伝記を職場へ持ち歩いた程であるので後日にまとめたいが、、ピカソをまとめるには相当エネルギーを要するな。作風はキュビズム以前が好きだが、何より彼に翻弄され泣かされる愛人の一人になりたかったと当時は本気で思っていた。今この歳になってようやく、92歳のピカソが自画像に込めた色と表情の意味が(少しだけ)見えるようになった。まだまだ遠い人であり、せめて生きた時代の一部でも重なりたかった方である。

 

 

キャパは自ら地雷に死すまで、戦争記録を通して国境を越え、芸術や民族の記録を残し、命というものを残し続けた。日本は1954年4月に3週間滞在した写真がある。

 

人生を切り撮る写真だからこそ、

慈愛と運命への抗いや

無抵抗な魂の叫びのような

刹那が焼かれて残るもの。

 

哀しいだけではない、哀しい写真の中に笑顔を収めた写真と見つめ合うと、とても人生を生きるということが愛しくなるのだ。

f:id:undy-yuu:20170117010048j:plain

※地雷を踏んで死ぬ直前に撮影した最後の写真

 

 

 

この最近は、0時を跨いだら仕事や仕事に準ずる作業も思考も休ませることにしている。ブログに夢見る前の思想を付箋して、眠ることにする。