ÜNDYizm

Under renewal...

「愛してる!」のある日常。

ブログテーマが散漫ですがそもそも生き方そのものが散漫な日々なので、、本日は子どもについて。

 

小学生の娘ふたりは毎日「愛してる!」と言っては私に抱きついてくる。それも家で会うたびすれ違うたび、寝るときに。別に夫がパンツェッタ・ジローラモではないのだが(そもそも夫いないし)イタリア人のように情熱的にまたは挨拶のように。愛の言葉は、挨拶とスキンシップ。そして母娘のハグキスも、慣例的な日常風景。さすがに、高校生となった長男は母親に愛の言葉はささやかないし冗談めいてのハグしかないが、隠し事もなくTwitterも共有し合う。年頃男子とは思えない、もちろん兄妹も仲が良いというか、ベタベタしないけど互いに尊敬する部分を共有している感じ。

 

自分は、およそ母らしくないと自覚してます。

母らしく「勉強しなさい」だの言わないし基本自分のことは自分で。勉強や学校の持ち物でわからないことがあれば兄妹・姉妹で助け合いなさいというスタンス。だからそうだね、母らしいことは「愛してるよ」のハグキスと、ご飯作るくらい(もちろん、食後の皿洗いは各自自分で)。自分には持病があるので、喘息をこじらせて寝込んだ時は家事一切料理もストップ。その時は、料理好きの末娘が率先して台所に立つ。というかいつも台所に来ては「手伝うことない?」と、チマチマやってくる。

 

母子依存ではなく、適度な距離と自立を促しながらも「愛してる!」の全面的な愛情表現は、日常の些細を幸せだと感じるから。

一時、持ち家を手放したり母である自分が残業三昧で朝の登校(登園)前しか会話する時間がなかったり、住居が火事になったり、入院や転校や。長女の時は一番忙しく小学校入学式から参観日は一年間、遂に行くことができなかった。(今は、フリーランスなので参観日もPTA役員も出来るようになり)怒涛のようで、悔し泣き寂し泣きする日であった。

 

お手伝い下手な長女は、登校前にちょっとした伝言を書いたりする。

「お母さん大好き」というメモをポケットに入れて持ち歩いてたのを、洗濯の時長女のポケットから、「またお菓子のゴミでも入れっぱなしかぁ」と思いながら取り出して見つけた時は、心が痛いくらい温まったっけ。

 

「今日という日は、明日は二度と来ない」というやんわりした覚悟が、イタリア人のように「愛してる!」の言葉に変わるの。食事の「いただきます」「ごちそうさま」も互いに「ありがとう」という気持ちで。

 

子どもに、

笑顔いっぱい元気をくれてありがとう。

拙い母なのに、大好きでいてくれてありがとう。

感謝して。本日もお仕事です。

 

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