自由は、孤独と共に。
気がつけば で 気づいたこと。
自分で歩くことはおろか立つこともできなかった。
トイレや食事の介護や、大変だった。
お漏らしした時は昼夜問わず洗って、
丁寧にドライヤーで体を乾かしてや、
留守番寂しがって声枯れるまで吠え、
お腹が空いては吠え、
撫でて欲しいと吠え、
撫でた時はこの世の全てが幸せという顔で目を細めて潤ませていたね。
ヘルニアわん子が居なくなって、
掃除や介護にかかる世話の大変さがなくなった。
一日の時間を、自分のペースで進められる・・
自由とは、寂しさと共にあるんだと知ったよ。
そうかぁ。
今はもう、成長した子供たち、
小さな頃は一緒に寝たりハグキスがあったのが、
もう自立に向かってのボールポジションにいる。
球を自らの意思で投げた時、自立し巣立った時、
私は、母親として自由という名の孤独を得るんだろう。
今日は、
午前中に60分走り、シャワーを浴びて掃除と食器洗い、
部屋中を換気して、洗濯物を干しました。
スニーカーやカバンをウタマロ石鹸でガシガシ洗いました。
天気が良いうちに買出しへ出かけ、
次女のサイズが小さくなった靴やボトムス類を買い、
長女が欲しがっていたショートパンツや下着類も。
自分も春夏用の動きやすそうなジーンズを買いました。
遅めの昼ごはんは、DONGURIの惣菜パンにしました。
仕事を進めて、イラストなど仕上げて、
夜ご飯は定番の味噌汁と肉野菜炒めで簡単に。
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ヘルニアわん子が居なくて、寂しい。
もっと もっと甘えさせてあげたかった。
忙しさで義務のように介護していた日も、
実は多かったんだ。ごめんねと思う。
人や動物を一生懸命に大切にするということは、
やっぱり怖いです。
寂しいから。
失うから。
でも、
子供たちと、残った老齢ワン子との日々が、
自由ではない日々が、静寂な幸せと思う。
これから、少しだけ仕事に再突入するので・・
そんな一日だった。