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大晦日ひとりごと

それは30年前の誕生日のこと

1989年1月7日、自分の誕生日が昭和天皇の命日か!と唸ったな。

冬休み登校していた中学校職員室のテレビでそれを観ていた。今も鮮明に覚えている、昭和天皇がご逝去されたという報道。「平成」の年号を掲げる平成おじさん。素朴な表情から13歳迎えた当時、この30年の平成激動を想像することは出来なかった。

 

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「平成」改元を発表 1989年1月7日 :日本経済新聞

 

晦日ひとりごと。

昨年末の今日、何を記したか振り返ってみた。昨年も激動だったが更に拍車をかけて抱えきれないことが次々あった。ブログに記録するにも言葉にならなかった日々。ついに限界、喘息発作で入院する羽目に。残ったのは、私欲を更に削ぎ落として何が大切だったかの渇望。結局、昨年末と同じだよなってことだったので備忘録。

 

前を向くために残すよ。

ひとつ片鱗を記録したのは今年の2月。同級生が自死をしたと長男から報告され絶句。今更泣いたところで大人としてアドバイス足らずだったって後悔した。

そこから前を向くには実は想像以上に辛すぎた。彼女から自死前に連絡がきた「最期の会話」を息子は抱えることになったからだ。生き方や価値観がその頃から大きくゴッソリ変えていく様子を見守ることしか出来ないもどかしさ。...それ以上詳細は息子の葛藤から出したこの最近の結論を心から応援するし尊敬するので割愛する。

そして昨年末記録したように、同じ言葉を今年の師走も置いておこうと思う。

 

一番のライバルへ。

人と違う選択肢を選ぶことは、孤独と向き合わなくてはならない。大切な人、守らなきゃならないけれどブレたらダメ。と一番のライバルである、息子へ言いたい。息子も私も、今年は激動で色々ありすぎた。でも、見えていることを信じよう。

 

来年は、希望あふれる場所へ行こう。

それは出来る。絶対叶うと信じよう。

 

平等に新しい年なんてない。

昨年の今日を振り返って思う。平和ボケして狭い言葉じゃん...哀しみや...命を切符にしなくても失う前に抱きしめることができたら。それ気づいたところで、何もできない「平等に新しい年」は存在しない。努力で抗えない現実を知らなすぎた。

けれど息子は、自立の芽から大きな蕾を膨らませて、花を咲かせに進もうとしている。花は希望という名前なんかじゃない。それでも、名もなき花を咲かせるのが人生を生きることだって知った。

叱咤激励とする残酷な言葉に心が刺されるくらいなら、無理に心開かなくて良いと思う。心は開かなくても世界は広いので、進むうちに、扉が開けば良いと思う...。

 

昨年の抱負に追加して「信じぬく」のは自分に、ということ。案外、他人は他人です。期待しすぎず自分で立つこと。家族は大切にすること。そのために仕事は責任持って行うこと。自分に不利益で不誠実な仕事には首を横に振ることも貫く。抱えすぎない。自分の信念を貫く?その前に子供の未来道導が横たわっている。

 

「家族する」大晦日に思う

年越しゆっくり実家で過ごすなんて高校卒業以来だが感覚では中学生くらいに戻っているよ。実家を遠ざけていた理由に、祖母から虐待されていた記憶があった。逃げ場だった祖父が他界して故郷の景色はより遠ざけていた。

そんな祖母も娘時代は樺太で男として男と混じって生き、幼い息子を残して北海道へ渡ったと知った。祖母は戦後の過酷な時代を生きることで精一杯な結果だったと思う。もっと早く祖母の生立ちや育ちについて知ればよかったと後悔した。

これ以上の記録は誰も得しないので終了。大晦日だしで最後吐露しましたが本気モード出したらデスノートになっちまう。自分以外の人の過去ごと殺すほど傷つけちゃう。対価交換で自分の過去を救いたいとも思えずただ、子供に連鎖させたくないって本気で思う。

 

はじめて哲学する本」で藤原和博が言っていたように「家族する」ってのは殊の外たいへんなんだと悟った。でも、子供の、孫の成長を悦んで家族団らんする。

せめて子供は親である自分より幸せになってほしいと願う。それが「家族する」ことなのじゃないかな。

 

今、祖母について想い出すのは、手の込んだ【五目ご飯】の具材を床に広げて丁寧に乾燥させて作り方を教えてくれたことや、【よもぎ餅】を作ってくれたことなど祖母のこしらえた料理の匂いの記憶。よもぎを摘んで歩いた祖母の丸い背中。

 

記憶は、良い方を残せるようだ。

 

平成最後の大晦日、残り半日...

雪のようにそれは静かに積もる時間。