誕プレ②
誕生日プレゼントから改めて感謝を備忘録したく。
次は、ゴッホ「ひまわり」の刺繍...!
裁縫の資格もある、母からもらったもの。
大きさはA3でステッチ全て縫う労力を考えると、
編み物は直線縫いしかできない自分には、無理だ!
何より驚いたのは、嬉しかったのは、
「貴方これ好きでしょう」って。
「そうだよ、ゴッホのひまわりの刺繍、欲しかったの!なんで知ってたの?」と聞いたらば、
「何年貴方の母親やってると思ってるの。」さらりと返されてしまった。
母は、やはり偉大だ。
けっこう天然な母で、言わなくても良い後手で核心的に傷つく言葉をさらっと刺したりするのだが(本人自覚ないのがまた厄介で)でも、母は母なりに、娘をずっと見ていてくれていた。
私は、黄色が昔から嫌いだ。
でも、ゴッホのひまわりは好きだ。
ゴッホの狂気に墜ちた絵、絵の具を買ってくれる弟に頼り、生活がままならなかった苦悩そのままに現れた絵画は、好きではない。
でも、ゴッホのひまわりは狂気の絵ではなく、黄色い絵の具をたくさん仕入れて、嬉しくて嬉しくて黄色を塗り重ねたと思われる喜びと希望の絵だと自分は解釈している。
だから、ゴッホのひまわりが好き。
本物は無理でも(当たり前)紙に印刷されたポスターでは厚塗りの良さが潰れてしまう。だから「刺繍のひまわり」が欲しかったのだ。
母にはいつまでも追いつかない。
爺ちゃんっ子だった自分だが、爺ちゃんの介護は何も出来なかった。全て母が、細かなことをケアして最期を看取ったのも母。認知症が進んで、娘息子、孫の私の名前も忘れたけれど、母の名前だけは忘れなくて「まりちゃん、まりちゃん」って呼んでた爺ちゃんが可愛かった。介護は今まだ私には出来ない偉業だと思ってて、
やはり、母は偉大だと思ったんである。
今やっている仕事、爺ちゃんの時に無力だった自分が心残りだったことを、次世代の宿題そのまま引き継ぎたくなくて奮闘している。要は、介護の手前で出来ることを、全力で。先日の新聞で、高齢化社会の次に来るのは多死社会とあった。なんだよそれ。言葉ままに現実実際そうなのだけれど、言葉を選んで、行動を選んで、試される人生を燃やしたい。
東京から、オーダーメイドアクセサリーが届く。
時期として狙ったかのように、誕プレとなった。
それは、また後日。
今日は、明日子供と出かける予定のために、もう少し仕事進めます。