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親ペナルティなんて

東洋経済オンラインは満遍なく情報が網羅されてコンテンツが見易くお気に入り、情報収拾に総合力が欲しい時など閲覧している。

 

だが非常に辛辣な言葉が飛び込んで来た。

「親ペナルティ」?ネットでプチ炎上?ネガティブな言葉を嗜好するナーバス社会に打ってつけだね...でも気になって読んでみた。

 

以下は「親ペナルティ」発祥元とされ上記記事で紹介されている。記事執筆は女性で、20代世代で出産・子育てをし40代世代として私見を述べている。

 

東洋経済オンラインの記事で経済的背景が優先なのは、記事執筆の男性側意見ならでは過ぎ「子を授かることで旅行・外食・衣服のブランドを安い階層で我慢、でも満足」辺りの行は虚しい尺度と思う一方で、プレジデントオンラインの女性側意見として「子を持つと幸福度が下がる」と断定するのは憤りを覚える。

 

この違和感は、子を産んで育てる環境は子育てする親年齢だけが判断値にならないのに、二択選択な私見を「親ペナルティ」とする暴慢さか。

 

何事も大変なのである。それが子育てというものだし、子の笑顔と天秤にかけられる「親ペナルティ」なるものはない。「もしも」と産まなかった人生を想像するのは滑稽だし、望んでも子を授かることができなかった当事者へ想いを馳せるのも、無理があろう。当事者の問題は、当事者にしか分からないのだから。

 

久々に、嫌いな言葉が出たなと思って留意していく。一時炎上し今も人気不動な「ワンオペ育児」という言葉も、自分は嫌いだ。

 

「親ペナルティ」も「ワンオペ育児」も、主体語が親であるから。

この言葉を、国語力を身につけた小学生世代の子供たちが見聞きしたらどう思うかの思慮が見えない。「計画的出産」や「計画的財形」に集約して子ども世代に宿題を課すような慮りにも不快感があるよ。かと言って無計画は無謀極まりない訳だが、子育てとは子が発する膨大なエネルギー・無垢さや感情に、心と体一つで共有するものだから。都合の良い言葉で汚して欲しくないなと思うが、違うのかな。

他人をどうこう、自分がどうこう、不幸合戦や幸せ指数を述べ合ったって永久な水掛け論だよなと思ったんである。母子家庭の畑にいる自分が、他人家庭と比較してもどうにもならなさ過ぎる。だからつい、このような大人都合の居心地の良い逃げ句が、嫌いである。さらに言えば、子どもは親世代が思う以上にナーバスに世論が好む言葉に傷つくことがあるってこと。考えてほしい。

 

...まぁ、自分こそ私見かな。

平たい比較情報と推察が必要、これから少子高齢化に向けて深刻化していくのは明瞭で、感情論だけでは子育ては出来ない。親世代の介護で、若い子どもたちの未来を奪いたくない。

 

まとめ。

子育て現役世代にとって行政支援と世論の動向は頼らざるを得ないので、違和感を覚えつつ、自分もまた親として不出来なまま人生を子とともに、時間という歳を重ねていく。人として、40代世代より50代、60代辺りまで人生経験積み上げないと「子育て=人育て」が出来ないのではないのかなというのが最近の核心。人生は未完なまま終えてしまう。

 

本日からデザインの現場で学びたい。デザインの現場は① - memorandum の継続、明日もその先も続く。 高齢者(この言葉自体が、あまり好きじゃない)世代からしたら、自分なんてほんの赤ん坊だよなってつくづく思う。経験か体力か、両方備えるのは難しい人生バランスに足掻いていくよ。

 

今日のロウソクの火を燃やしきって、

明日のロウソクに火を灯したい。

 

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明日は、本日見聞きしたデザインの現場について書きます。

仕事に戻ります。