memorandum

逆さま思考な備忘録_φ(゚∀゚ )

言い訳すんな

何かを決断しなきゃならなくて悩んだ時、ほんの少しばかり聞いて欲しいって相談相手はいるのが普通?

子供の相談は、ほんの少しばかりの相談をされたら嬉しい。話聞いているうちに子供自ら答えを探すこともあるし、母にしか言えないって相談を長女にされた今日は、実はすごく嬉しくて、悩みを聞いてあげながら実は自分の心は泣きたかった今日のこと。気がつけば頑固な自分は、気軽に相談できる人がいない。

 

大人だって、子供みたいに凹むことだってある訳だよ。でもそんな些細なこと愚痴れないんだよ。自分の悪い性分で「そんなこと相談されても困るだろうなぁ」と思って濁した部分しか言えない。それに相談する前に、答えは出ている。「自分で決断して進むしかない」か或いは「手の施しようがないから時の経つのを待つ」しかないか。大人になると、残念ながら抱える問題が多くて。みんな独りで決めているんだろうか。やはり家族や友人に、打ち明けたりしながら整頓しているんだろうか?そう思う自分は、ぐずぐずと弱い。

 

最近、好きなブロガーさんに気付かされた言葉があります。

「現在の思想は、過去の経験則からループしている」のだそうです。まさしく自分がそう。良くも悪くも、思想や悩みのパターンは、過去の実体験が縛りになっていることが多くて、大人の誰しも皆(多分)完璧な幼少年期を過ごせてないと思う。自分自身が母親として子に満遍なく幸せな日々を与えているかと言えば、今は少しだけ胸を張れるけど少し前までは悲惨だったと思う。

要するに、悩んだ時は自分の中でばかり解決させようとしていたら、結局過去の経験法則の泥沼に浸り沈むことになる。打破したく、でも今日ばかりは仕事のモチベーションも止まっちゃった。久々に、無遠慮な言葉に傷ついて心が痛い。

 

好き好んで今の人生レールを歩いている訳じゃぁ、ないよ。きっとみんなそうだよ。好き好んで面倒背負い込んでる訳じゃない。子供の笑顔の為にって拙いながら子育て理念はあるし、自分なりの倫理はある。しかし、また心の根をポキリと折られてしまった。

 

自分が、弱いんだろうか。

 

きっと、ブログに備忘録を残すのは、折れやすくて傷つきやすい弱い自分を、相談する人がいなくて、手を差し伸べてくれたとしても心開けなくて、そんなダメな自分を整理したくてキーボードを叩いている。

 

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大人になっていい歳だし、子の母でありながら情けないやらでカサカサと心枯れそう。静かに音楽に委ねるしかなくてSiM聴いて心の充電、もう少し、昨日今日と心が折れて進められなかった仕事たちを、進めます。悔しいです。大人の常識ならなんてことないことなのかもしれない。でも自分にはその言葉が許せなくて、ちりちりと痛い。

 

わかってる。過去の自分が吐いてきた無遠慮な言葉がきっと、ここにきて戻ってきたのだと。言葉は鏡だ。過去の自分という鏡を通して、今に跳ね返ってくる。耐えることが多いならそれは、自分が過去に甘かったからに過ぎない。言い訳すんなと自分に叱責す。

 

明日の自分は、笑えますように。