ÜNDYizm

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更新されない「いいね」

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盆の終わりと共に、

闘病していた叔父が他界しました。

 

田舎を出て田舎が遠のき、

忌中の時しか会わぬのに、

叔父はFacebookを始めた頃から、

私の近況にポチと「いいね」をくれていた

それは、実家が遠のいた時も変わらず続き、

気がついたら田舎に見守られているひとつ、

だった。

 

盆前に、病床へお見舞いで会ったのが最期。

痛みに耐えて腹をさすりながら、

痩せたことを気にしていたけれど

笑顔は 優しい顔は 変わらぬままだった。

「頑張って」とは決して言えない、

別れ際にハイタッチをした。

骨ばってゴツゴツして冷たい指は、

意志を感じた。

 

その後も、闘病の様子は母伝に聞いていて、

どうにもならない、ただ空を眺める日だった。

それでも、

私の投稿写真に「いいね」が来たら、

「生きている」ことが確認できて安堵した。

 

最後に、田舎へ墓参りに行き、

伯父さんには会えないなと思い

(相当、体調悪いと聞いており・・)

田舎の風景と子牛と次女の写真

更新してついた「いいね」最期の写真、2枚。

最期は指が震えて、

携帯のボタンを押すことすら

辛かったらしいのに。

 

善く生きた人は、晩節を選べたら良いのに・・

会えたらと思った。

けれど何ができただろう自分に。

 

応援されていた、些細なようで支えだった。

更新されない「いいね」写真を見つめては、

形にならない感情が融けている。

 

生きて残すことについて、

途方もなく考えている。

自分は何してんのよ、と。

 

けれど日常は通常運転です。

仕事もせねばと。